twitterの青い鳥は無機質な「X」へと変貌を遂げた。経営難で元より息は長くなかったらしい。だから今こうして呟けるだけで幸いなのだろう。
しかし我々は回転コンベアがベルトコンベアになり、死にながら生きている寿司すら消え去り、ただ注文した皿が高速で走ってくるはま寿司の侘しさを知っている。この青い鳥もそこに居るだけでひとつまみの華やかさはあったのだ。
「変えるだけなら簡単だよ」「気持ちでSNSを作ってはいけない」と宮崎駿のようなことを口々に叫ぶ日々。だがそれでもあの青い鳥は帰ってこない。
我々は外したマスクを握りしめ、他のプラットフォームを探す。
misskeyにもmixiにもみんはやにも馴染めなかった我々は踵を返す。そしてこの沈みゆくタイタニック号に身を委ね、鳥の詩を合唱する古来のオタクとして果てることを決めた。
でもまず、星を見に行こう。冷笑と屁理屈に塗れたこの世界から抜け出し、誰のためにでもなく光る星を見に行こう。そこで青い鳥を弔おう。
ついでにおいしいものも食べに行こう。お母さんが作ったバタースコッチパイはどこにも売っていないが、それに近しいスイーツはそこかしこにある。
あとトイレに行こう。twitterに夢中になりすぎた我々はパソコンに張り付き、何度も膀胱を破裂させたものである。スマホの画面は割ってからが一人前と言うように、膀胱も爆破させることで初めて「ツイッタラー」を名乗ることができた。しかしその安直な考えはチープシーロマンだ。冷静に考えれば泌尿器科の医療逼迫を招くだけであったはずだ。膀胱にイニシエーションとしての機能はなく、ただ椅子への屎尿のスピルオーバーを防ぐ役割であるべきなのだ。
外へ飛び出すには、今しかない。