スペシャル / 平方イコルスン の読後感について

 本記事では平方イコルスン著「スペシャル」の読後感について私の見解を述べる。ネタバレを極力避けながら極力簡潔に書いている(今長い文章を書くやる気がないので)ため、論理の飛躍や不明瞭な点もあるかもしれない。

 ただそれはないだろと思わせてしまったのであれば、恐らく私の読解力不足と思い込み(確証バイアス)であろう。

 

 まずスペシャルは人間描写が非常に緻密である。頑固だとか繊細だとかその程度の解像度ではない。本当に些細な癖まで描かれており、そういうやつ知り合いにいたわ、と何度も納得してしまう。

 

 当然人間関係もリアルに描かれている訳である。ただそれはウェットな関係(さよ→こもろはそうでもないが)ではない。内輪ノリが通じるほど仲がいいのだが、どこまでも軽く、ただ互いに人には言わない秘密を抱えている。友達だがある一定の距離感もある、そんな絶妙な関係が多く見られる。

 

 こうして読者は人間とその力学を認識させられるわけである。

 

 ところで、人間関係を断絶された時に抱く感情は親密度によって異なる。様々ある感情の中から今回は「怒り・悲しみ」「戸惑い・喪失感」だけを取り上げる。双方は図のように推移すると考える。

 好きの反対は嫌いではなく無関心、とよく言われる。仲が良ければ良いほど怒りや悲しみといったヒステリックな感情が渦巻き、逆にそこまで親密でなければ「ああ、居なくなったんだな」程度の微弱な戸惑い・喪失感を抱く。すなわちどうでもよくなる。

 

 ただ、親密過ぎず疎遠過ぎずの微妙な関係の場合、表出するのは強めの戸惑い・喪失感なのだ。本作にて意識させられた力学はこのような関係であることも肝であった。

 ここで読者と本作との関係を考える。設定に解が一意に定まらない謎を多く含んでいる、つまりある程度知っているのにある程度知らない。従って読者と本作との関係自体もこれと重なるのである。

 

 そういう関係の中、突然あのような形で最終回を迎えられる。そこで抱く戸惑い・喪失感の正体は、読者が作品中に認識させられた(登場人物間のミクロな)力学を、スペシャルというマクロな方向へ無意識に向けさせられた転移なのであった。

 

補足 : 戸惑いは私自身が強く感じた読後感である。喪失感はトークイベントにて平方氏自身がこの作品の狙いとして述べていた。