選曲家劇場採用案 ubi / 坂本龍一 の解説

 

 私の投稿が採用された選曲家劇場からもうすぐ1年が経つ。あの山口一郎11月16日復帰予定氏から名前を呼ばれる日が来るなど夢にも思っておらず、当時騒音に悩まされながら住んでいた木造アパートで独り大騒ぎしてしまったのを今でも覚えている。

 この手の種明かしが野暮ったいのは重々承知である。が、もうさすがに時効(誰も見ないし覚えてない)だろうと、体調が回復してきた今述べることにした。

 

 まず公式に与えられているメインテーマ「音楽が映像に与える影響力」はもちろんのこと、「2回見てようやく理解できる伏線を置く」ことを方針としていた。これまで放送された多くの作品は映像と音楽を同時に見る・聴くことにより、音楽によって拡張された物語やユーモアなどがすぐ理解できるようになっていた。山口氏が1度作品を見てすぐリアクションを返す、という構成がその証左である。

 そのような(不文律的に構築された)フォーマットを壊し変化球を投げなければ、自分の知識量とセンスでは絶対に採用されることはないだろうと考えていたのだ。一見TANJI氏のPendulum Musicとネタが被っているように見えるが、(放送された解説を読み私が解釈した限り)実は方針が全く異なるものだったのである。

 この映像の最後に赤ちゃんの存在が示唆される。伏線を置くとするならばこれだろうとあっさり決まった。赤ちゃん、いや生命のメタファーと言えば、一定のリズムを短く刻む鼓動である。そこでメインらしい音楽とは別のテンポで一定のリズムを刻んでいて、かつメインテーマ「音楽が映像に与える影響力」を検証するにふさわしいであろう曲を厳選した。

 その結果、以下の2曲が最終候補となった。

 

1. In My Room / Fennesz

 "緊迫した悪い予兆"を連想させる。この映像には元より面会室、何かを話し合うスーツの男など不穏な要素が多分に含まれている。しかしこの曲を合わせることで妊娠をも喜ばしいものではなく、どこか不吉な印象を持たせることができる。果たして本当に産まれるべき生命だったのだろうか。

2. ubi / 坂本龍一

 In My Roomとは相反する"鎮静"を連想させる。従って主に妊娠より手前のシーンの印象を大きく変容させることができる。手錠をかけられた男の目つきは鋭い。しかし感情表現が苦手な彼は、新たな生命を宿した彼女を目の前にして喜んでいるのかもしれない。スーツの男の一方もその事情をもう一方の男へ訊き、微笑ましく思うのであった。

 

 この2つの大きな違いは鼓動となる音である。In My Roomは「ドクン」という鼓動らしい音、ubiは「ピコーン」というリアルなそれとはかけ離れた音であった。

 が、ここで逆に「映像が音楽に与える影響力」を考えてみる。「ドクン」は元より鼓動を連想させやすい音である。ただこの「ピコーン」はあらゆる解釈が可能で、直接鼓動へアプローチすることは難しい。

 直接的ではなくアプローチが難しいことが、音楽の可能性をより広げるものであると考える。そして映像というヒントを与えられてようやく気付き、そうだったのか、という閃きによる快感をより強くするのである。

 ここで鼓動、もとい生命まで遡る。生命とは輝きである。電源のない、ただそこに自立し凝縮されたエネルギーが定期的なリズムで漏れ、光を放つ。それを鼓動という形で我々は聴くことができる。このように抽象化し音楽へ再変換するのであれば、まさにubiの音が最適なのであった。

 このように「映像が音楽に与える影響力」も考えることにより、「2回見てようやく理解できる伏線を置く」方針にも厚みを持たせることができたのであった。

 

 以上がubiを選曲するまでに至った過程である。今年は山口氏の体調か番組側の事情なのか分からないが、シュガー&シュガーは放送されなさそうだ。なんにせよいつかまた再開してほしいし、山口氏にはしっかり休んでいただき(間もなく復帰予定のようだが)、また元気に活動を続けていただきたいと切に願っている。そして次回も選曲家劇場の視聴者募集があるのであれば、また楽しんで応募したい(投稿者数に対する採用枠の狭さを鑑みるに、同じ投稿者が2度採用されるのかは怪しいところだが)。

 

 

 蛇足ではあるが、私自身も様々な爆弾を抱えている虚弱体質ゆえ何度も長期間寝込む。だから休む罪悪感、もどかしさなど、あらゆる苦しみを年中痛感している。しかし山口氏は人並み外れてストイックに物事へ打ち込んでいて、それに加え群発頭痛という「自殺した方がマシ」とも言われるらしい痛みにずっと耐えている。だから山口氏の休養の苦しみ(度合いではない)は私にも計り知れないに違いない。

 ただ私が今倒れても立ち上がるときを待ち続け、回復してからあらゆる活動、取り分けやりたくもない、ただただ辛い試験勉強を続けていられているのは、山口氏の姿勢を見習っているからである。夜は乗りこなすものなのだ。

 ご本人がこの記事を見ている訳がないのだが、改めてどうかお体を大事にして、いつまでも強く生きる姿を遠くから眺めさせていただきたい。

 

 前述した可能性をより広げることのもう一例として、私が不眠治療(恐らく一生完治はしないのだが)の応援歌と勝手に歪曲しながら反芻している「さよならはエモーション」のフレーズを引用し、本記事を閉じる。

さよなら

僕は夜を乗りこなす

ずっと涙こらえ

忘れてたこと

いつか見つけ出す

ずっと深い霧を抜け