ディープシーロマンの再考察

運命という名のあいつが 私を弄んでやがるんだ

あいつはゲスな奴だ 乙女の困った顔を拝んでニヤリとほくそ笑むゲスな奴だ 

 どうやら人生は迷路ではなくまっさらな傾斜だったらしい。私が見て避けていた壁は幻惑であり、欺瞞であり、けだし気まぐれだったのだ。そして道を歩む苦しみは奈落へ引きずり込もうとする重力、それ以上でもそれ以下でもなかった。人はそれを運命と呼ぶらしい。

 

 ある日ドボン、と音がした。この状況を、はっきりと掴むことが、できない。ただ、沈降していることだけは。はっきりと、直感的に、察知することが、できたのである。こうして、落ちていくのか。これが、堕落というもの、なのかもしれない。

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 ふわりと現れたオウムガイ。いや、本当にオウムガイなのか?人が乗っており潜水艦のようでもある。戸惑う私をその黒く澄み切った眼で捉え、下へ潜り込み、頭から生えている煙突であぶくまみれにする。点にも丸にも見えるほど小さな粒々に私のダークシーロマンが満たされ、みにくく散り散りになる。そして彼はこう言った。

 

 その安直な考えはチープシーロマンだ。

 

 かくして私はディープシーロマン(EX)を初見で叩かされることになったのである。

 

 

 私は状況を即座に把握した。張り巡らされたニューロンが暇だと言っている。この右側の白は必ず叩けないタイミングで降ってくる、そうに違いない。既存の楽曲もとい人生経験を基にして帰納的に考えれば、なおその楽曲とはスペシャルクッキングとH@appy Fever Forever!!のことである、この程度の推論を立てることは容易であった。否、推論ではない。真理だ。ちなみにサンプル数が足りないという反論は受け付けない。なぜなら想像通りに事が進まないことは運命という巨大な、

 

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 真理、否、推論、否、思い込みは呆気もなく破られた。身構えて遅GOODで拾う。そんな私を彼は嗤いはしなかった。画面右側でふわふわと浮かび、ただ何かを狙っているような佇まいでじっと私を見つめている。

 

 私は含んでいたオリーブの塩漬けをそろそろと舌で転がす。突然の出来事をまだ受け入れることができておらず身を震わせているのは、それはそれで確かなのである。ただそれよりも、その水中に伝播する彼のぬくもりを、官能的に味わっていた。おいそれとは安寧は享受することができない。ただそれはその場を翻し訪れるのである、その時を待つと良い、そう言っているようであった。

 彼はふと眼を閉じる。ところで私は、物心がついた時から相手の眼を見ずに話す癖がついている。それはつまらないというサインをふいに受け取ってしまうことを避けるためである。元より見えるものを見ているのではなく、見ようとしているものを見ているものだろう。私がどう感じても推察が正しい保証はなく、すなわち思い込みなのである。ただ認知の歪みはそう簡単に直すことができない。だから視線というノイズを排除する。彼も同じことを考えているのかもしれない。

 スッ。胎盤を泳ぐ胎児のような速さで、即座に開かれるまなこ。そこに直感的に感じたのは恐怖であった。私は戦慄とした。ここは危険だ、すぐに離れた方がいいと、私の中にある不必要に怒張したじゃがいものようなエマージェンシーボタンが光り輝いている。そこで私は恐怖を感じた。頭の中にMarilyn MansonのThis Is The New Shitが鳴り響く。もう終わりなのかもしれない。そう怯える私の目の前にいるのは、眼を見開いたオウムガイのような不気味で、胡乱な生物だ。ルネ・マグリットピレネーの城を彷彿とさせる、雄大で、なおかつミニマルな、しかしそこに一種の狂気を凝縮させた趣は、私を恐怖へと陥れる。

 半ば無意識に、口の中に放り込んでいたオリーブを舐める。この空間には私と彼以外が存在しない。身を委ねる相手がいない中、ただ別の触感を味わうことができるだけで気休めになるものである。その柔らかさに愛着を見出し、私が今包み込むことにより同時に包み込まれている相互作用を味わっていた。柔らかさは母親、軽い塩っけは父親だろうか。数年前に別居した家族を口の中に投影し、不安を紛らしていた。

 目下瞳が閉じる様をまざまざと見せつけられた。まるで自慢しているようだ。ただそれは仄暗い海と共に味わうとさながら暁月で、今いる場所が天(そら)であるかのような錯覚を引き起こした。が、それがどうしても自慢しているようにしか見えず、苛立ちがあったことも否めない。心にゆとりがなく、せわしない鼓動に意識を向ける。一定のリズムを刻むそれから連想されたのは五線譜で、ふと彼の瞼をフェルマータに見立てた。好きなだけ伸ばしていいことを意味する記号、なんて自由なんだと驚嘆したものである。楽譜とは囚えし者であると考えていたがそうではなくて、演奏者の主体性をも重んじることができるのだ。しかしどうしても、自慢しているかのような佇まいが邪魔をする。

 力強さの象徴。厳か、したたか、どどめ色。全てを満たすアクションが開眼である。彼はあろうことかそれを成し遂げたのだ。ぶん、と衝撃が走ったのを身をもって感じた。そう、眼を見開いたのだ。思わず口内に忍ばせておいたオリーブをくるくると回す。思いがけない出来事に動揺してしまい、体が落ち着かない。しかしここは水中である。爪を噛むことも息を呑むことも許されない。ゆえにただ口内に全てを委ね焦燥を発露することにしたのである。彼は目を開ける。

 

 沖に上がったのは、私が四十五になった頃である。